当圏域内には、さまざまな自然や名所・旧跡があります。

自然
沼・池・泉
印旛沼(成田市、佐倉市、印西市、栄町)
 千葉県内最大の湖沼です。水運、水害対策、新田開発などのため、江戸時代から何回も干拓事業などが行われてきました。
今は、西部と北部の調整池が分断され、沼形は一変しています。周辺の開発が進んでいますが、自然は残り漁業が行われ、釣り、ハイキング、野鳥観察などで親しまれています。

手賀沼(印西市、白井市)
 都市化の進展とともに汚れが目立つ昨今ではありますが、豊かな自然は残り、岸にはヨシ、マコモ、スゲなどが、沼面にはウキクサなどが繁殖し、カモ類、サギ類なども飛来します。
今も漁業が行われ、また、レクリエーション地区として、公園、遊歩道などの整備が行われています。


森・林
麻賀多神社の森(成田市)
 印旛沼東方の北総台地にあり、県指定天然記念物に指定されています。
樹齢1,300年余りと推定されていて、東日本一の大杉と言われている御神木「公津の大杉」をはじめ、幹囲が3mあまりの杉が20数本あります。
樹種は、スダジイの巨木を優先種とし、アカガシ、ヤブツバキ、モチノキ、ヒサカキ等が自生しています。

小御門神社の森(成田市)
 この森は、明治時代に植栽された人工林で、シラカシ、クスノキ、スギ、クロマツ、モミ等があり、いずれも幹周が1.5m以上、樹高15m以上の大木に成長し、自然林化しつつある林として貴重なものです。
県指定天然記念物に指定されており、県内最大規模の常緑広葉樹林があります。


地層
木下貝層(印西市)
 赤土層にはさまれた厚さ4.3mの貝層で、二枚貝を中心に約180種の化石があります。考古学上貴重な資料となっています。


文化施設
房総風土記の丘と房総のむら(栄町)
 房総風土記の丘は、全国でも有数の古墳群のある丘陵地に設けられた史跡公園で、歴史的に主要な建物や資料館があります。
隣接する房総のむらは、江戸末期から明治初期にかけての農家や武家屋敷等を再現し、当時の生活様式を体験しながら学ぶことができます。


スポーツ・レジャー
佐倉草ぶえの丘と野鳥の森(佐倉市)
 佐倉草ぶえの丘は、自然の中で農作業を体験できる学童農園で、ミニSL、キャンプ場、陶芸舎等を備えています。
隣接する野鳥の森では数多くの野鳥が観察できます。

酒々井ちびっこ天国(酒々井町)
 緑あふれる丘陵地に位置する水の公園。
流水プール、造波プール、競泳プール、飛び込みプール等の他にちびっこスライダープール等を備えています。


交通施設
成田国際空港

(写真提供:成田国際空港株式会社)
 三里塚を中心に10.6km²の敷地をもつ世界屈指の空の玄関です。
国際線旅客数は、年間1,200万人を数えわが国の国際化をリードする要となっている。昭和53年に開港しました。


公園
三里塚記念公園(成田市)
 花と馬の牧場として多くの人に親しまれてきた三里塚記念公園。
園内には、「旧宮内庁下総御料牧場」が成田空港の建設に伴い栃木県に移転した後に、約100年にわたる宮廷牧場としての歴史を記念して建てられた「御料牧場記念館」があります。
他にも皇族の宿舎として使われていた貴賓館や、三里塚にゆかりの水野葉舟、高村光太郎の文学碑などもあり、「日本の歴史公園100選」に選ばれています。

国立歴史民俗博物館、佐倉城址公園(佐倉市)
 佐倉城は、慶長15年(1610年)入封した土井利勝が築城したことに始まります。
藩主で最も知られるのは、江戸末期、老中職にのぼった堀田正睦であります。明治維新後、城はとり払われ、現在は公園となっています。
二の丸跡には、日本の考古、歴史、民俗に関する資料を収集・展示する国立歴史民俗博物館があります。

印旛沼公園、師戸城址(印西市)
 師戸四郎が築城したといわれる師戸城跡に造られた公園で、梅園、運動場、ちびっこ広場等が設けられています。
印旛沼を一望のもとに見渡せます。


町並み・道
小林牧場の桜並木(印西市)
 昭和40年に設けられた競走馬の保養育成の牧場で、四季を通じて人々が憩える場所として親しまれています。
牧場入り口から続く約700本の桜並木はすばらしく多くの花見客が訪れます。

花植木センター(成田市)
 千葉県花植木センターは、昭和55年(1980年)開園しました。
総面積は約9.7haの広さで、約700種、4,000本の花、草、植木を見ることができます。
年間を通じて多くの人が訪れ草花を楽しめます。
展示会も開催しています。


農林・畜産品
落花生とその加工品・料理(千葉県全体)
 本県の落花生は、明治9年山武郡南郷村(現在の成東町)で試作されたのが、始まりで、現在は、北総台地を中心に全県で栽培されています。
生産量は全国第1位で、約半分を占め、市場で高い評価を受けており、加工品、料理が数多くあります。

さつまいも(千葉県全体)
 本県の甘しょは、享保20年(1735)青木昆陽が試作したのが始めで、現在は北総台地を中心に全県で栽培されています。
食用、原料用甘しょを合わせた生産量は、全国第3位ですが、食用甘しょは全国第1位で食味のよい「ベニコマチ」「金時」などが生産され、東京市場で高い評価を受けています。

コシヒカリ(千葉県全体)
 本県は、良質早場米の産地として全国的に知られており、その中で、食味良好なコシヒカリの評価は高く、作付面積の半分以上を占めています。
千葉のコシヒカリは昭和30年代から栽培が始められ、高い生産技術と需要増のもとで、市場において、「千葉のコシヒカリ」として、ブランド名が定着しています。

房総の花(千葉県全体)
 従来は安房地方を中心とした露地栽培が主体でありましたが、施設栽培を利用したバラ、カーネーション等の切り花、及び、鉢花、観葉植物、洋らんなどの鉢ものの生産が伸びている・生産額は全国第5位であります。

にんじん・だいこん(千葉県全体)
 だいこんは県下全域で栽培され、良質的なダイコンを出荷しており、全国第2位の生産を誇ります。
にんじんは東葛・印旛地域を中心に栽培され、冬にんじんを主力として全国第2位の生産を誇ります。

さといも(千葉県全体)
 印旛地域を中心に全県的に栽培され、全国第1位の生産を誇ります。

メロン(千葉県全体)
 温暖な気候のもとに従来の路地物に加え、施設物も増加しています。
京浜地域を中心に出荷され、品質・糖度・形状とも優れ市場での評価が高い。

くり(成田市・印西市)
 中性品種を中心に、低樹高栽培で生産されています。
県内ではなしに次いで栽培面積が多い。

梨(白井市)
 幸水・豊水など「赤梨」の代表的な産地であり、栽培面積は県内第1位です。
「味が自慢の千葉の梨」として親しまれています。

スイカ(印旛地域)
 昭和初期から本格的に栽培が始まり、早期出荷のためのビニールトンネル、ハウスの利用により生産が増えました。
八街・富里のスイカとして全国的に知られており、全国第2位の生産量です。

水産品

鯉・鮒とその料理(印旛沼流域)
 印旛沼、手賀沼、利根川を中心とする地域は、コイ、フナ等の淡水魚の宝庫。
これらの魚を利用して行事食に保存食に古くから調理されていたが、今は珍味としても市販されている。


民・工芸品

(成田市)
 鋏刃物は、日本刀鍛錬技術と同じ「総火造り」の製法によるラシャ切り鋏や種々の打刃物を取り揃えています。
すべて手作りで仕上げられ、切れ味、耐久性、使いやすさは定評があります。
成田市の石塚洋一郎氏は我国ラシャ切り鋏創製者に師事した祖父の技術を父から継承し、「二代目 正二郎」としてその作品を製造しています。
後継者である長男祥二郎氏は、包丁など打刃物を制作し親子で技術の伝承に努めています。

落花生人形(八街市)
 本県特産の殻付き落花生を加工し、自然の形を生かして作る数少ない民芸品である。
ひな、越後獅子、弥次喜多等の種類があり、土産物店などで販売されている。

清酒(千葉県全体)
 良質の米の好適な地下水に恵まれ、古くから数多くの銘柄が生産され、現在は36の酒蔵がある。

加工料理

鉄砲漬(成田市)
 成田名物の瓜の鉄砲漬は、くりぬいた瓜にしその葉を巻いて青唐辛子等を詰めたもの。
瓜を砲筒、青とうがらしを弾丸に見立てたのでこの名がつきました。
近年では、青唐辛子のほかにも、様々な具を詰めた個性的なものも登場。

成田の羊かん(成田市)
 成田の羊かんは、明治15年(1882)に成田山新勝寺の精進料理「紫栗の羊かん」からヒントを得て、売り出したのがはじまりとされています。
その後「煉羊かん」が考案されました。
生産量の7割は全国に出荷されます。
昔から新勝寺参拝客をはじめ多くの人々に喜ばれています。

佐倉の味噌(佐倉市)
 本県は醸造に適した風土に恵まれ、伝統技術をいかした高品質の味噌が各地で生産され、かつては味噌の主産地であったが、醤油生産に主力が注がれ少なくなってきている。
佐倉は古くから産地として知られています。

郷土料理

太巻寿司(千葉県全体)
 いろいろな絵柄を巻き込んだ本県独特のすし、地域により絵柄が異なり、花、かたつむり、松、ともえ、うず巻き、文字など巻き方に技法を凝らしています。

芋もち(千葉県全体)
  ふかした里いもをついて作ったもち。
回りを焼いて大根おろしをつけて、できたてを食べる。
昔、7歳の子どもの祝いに使われていました。


神社・仏閣・歴史的建造物
成田山新勝寺(成田市)
 成田山新勝寺は天慶3年(940)に寛朝大僧正によって開山された真言宗智山派の大本山で、「成田のお不動さま」の名で親しまれています。
関東三山の一つであり、現在境内には、仁王門、三重塔など5つの国指定重要文化財があります。

宗吾霊堂(鳴鐘山東勝寺)
宗吾霊堂の名で知られる鳴鐘山東勝寺は、桓武天皇の時代に建立された真言宗豊山派の古刹。
凶作と重税に苦しむ農民を救うため、江戸に出て将軍への直訴を決行した義民・佐倉宗吾の話は有名です。
宗吾一家の菩提寺として東勝寺は静かなたたずまいをみせています。

龍正院仁王門(滑河観音)
 龍正院(りゅうしょういん)は、坂東33ケ所観音霊場の第28番札所の天台宗の寺院で承和5年(838)に開山されました。
延命・安産・子育ての守り本尊として知られており、境内にはしもふさ七福神の一つである毘沙門天が奉られています。
国指定重要文化財の仁王門、県指定重要文化財の本堂並びに宝きょう印塔、夫婦松など貴重な遺品が残されています。

大慈恩寺(成田市)
 大慈恩寺は、天平宝字5年(761)、唐の鑑真和上が創建し、鎌倉時代に真源禅師が中興開山したと伝えられています。
本堂には、清涼寺様式の釈迦如来立像が安置されており、また、天皇の使者のみが使用した「勅使門」や、千葉県指定文化財の「梵鐘」など多くの文化財が残されています。

旧堀田邸(佐倉厚生園)
 市街地に隣接する高台にあり、旧藩主堀田正倫が明治時代に築いた邸宅跡で、主屋、冠木門、離れ屋等がある。
庭園は県下でも有数の名園とされ市民の憩いの場となっています。

武家屋敷通り(佐倉市)
 宮小路町や中尾余町に武家屋敷が残り、特に宮小路(旧鏑木小路)は緑に囲まれ落着いた雰囲気が往時をしのばせています。

松虫寺(印西市)
 聖武天皇の第三皇女不破内親王(松虫姫)の病を治したといわれる薬師如来をまつった寺。
本尊は、薬師如来坐像の左右に3体ずつの薬師如来像の小像群を配したもので、平安時代末期の作である。古い様式の七仏薬師は全国的にも珍しい。

滝田家住宅(白井市)
 滝田家は、手賀沼干拓以来この沼辺に住み、名主をつとめた旧家である。
建築年代は、17世紀末頃とみられ、間取り、木割りとも名主階級の住宅にふさわしく堂々としています。

宝珠院(印西市)
貞観年間(859〜877年)の開基。今は観音堂を残すのみ。
室町後期の建立と推定され“光堂”とも呼ばれています。外部は簡素だが、内陣は極彩色で飾られています。

結縁寺(印西市)
 神亀年間(724〜729)年間の開基。本尊の不動明王立像は、嘉元元年(1303)の作とされ造像年月があきらかなことは貴重とされています。
房総の不動明王像の代表作の一つです。

栄福寺(印西市)
 聖武天皇の時代(724〜749年)の開基。
薬師堂は文明4年(1472)の建立の茅葺き寄棟造りの三間堂で、建立年代の明確な建造物のうち県下最古の建造物です。

龍角寺(栄町)
 和同2年(709年)の開基と伝えられる。竜の頭を葬ったことから名付けられたという。
境内には、本堂、本坊の他、金堂、塔、中門の跡などがあり、本尊の薬師如来像は白鳳仏で県下最古の仏像であります。

獣医学実地教育発祥地(成田市)
 明治8年(1875)に内務郷大久保利通が下総牧羊場を建設しました。
その後、明治21年(1889)に下総牧羊場と取香種畜場が合併して三里塚に移りました。
後に下総種畜場となり獣医学実施教育の場となりました。
昭和44年(1969)新東京国際空港を建設のため閉場されました。
獣医学実施教育発祥地の碑が三里塚記念公園内にあります。

四街道地名発祥の道標(四街道市)
 四街道十字路にある明治12年銘の石の道標。
四つの街道の中心であり、地名発祥の由来となっています。


史跡・碑

本佐倉城跡 根古夜城(佐倉市、酒々井町)
 文明年間(1469〜1489)に千葉介輔胤が築城し、天正18年(1590)に小田原北条氏と共に滅亡するまで、千葉家の宗家として、百有余年間9代にわたった。
深い堀跡の一部や郭跡が確認でき、わが国城址の中でも旧態をよく伝えています。

富里牧羊場跡(富里市)
 明治8年、殖産興業の一つとして、羊毛の国内自給を図るため、わが国で初めて牧羊場を開設し、米人指導者を迎え羊の飼育が行われた。
西洋式牧畜発祥の地です。


古街道

成田街道(成田市、佐倉市、酒々井町)
 日光道中の武蔵千住宿から分かれ、成田までの街道で3泊4日の旅程。
佐倉藩、多古藩、小見川藩が参勤交代などに使用するほか、江戸時代後期には、成田山新勝寺への参詣客が通行するなど通行量が多く房総を代表する脇往還。


歴史
偉人

佐藤泰然と旧佐倉順天堂(佐倉市)
 泰然は、堀田正睦の招きで佐倉に移り、新しい外科手術や種痘などを行った近代医学の先駆者であり、天保14年佐倉順天堂を創設した。
「西の長崎、東の佐倉」といわれ近代医学に大きく貢献し、建物は、現在、記念館となっています。

浅井 忠(佐倉市)
 明治洋画界の先覚者の一人。
わが国初の洋画美術団体の明治美術会を創立し、後に東京美術学校(現東京芸術大学)等で教鞭もとり、洋画の普及に努めました。

津田梅子(佐倉市)
 女子教育の母。8才でわが国初の女子米国留学生となり、後に今日の津田塾大学を創立しました。


伝統的な祭り・行事
成田祇園祭り(成田市)
 成田祇園祭は、成田山新勝寺のご本尊「不動明王」の本地仏である奥の院大日如来の祭礼で、約300年の歴史を誇ります。
奥之院大日如来を御尊体とした御輿と10台の山車・屋台が3日間にわたり市内を曳き廻され、踊りとお囃子の競演が行われ、成田の街中は祭り一色となり、例年40万人を超える見物客が集まる一大イベントとなっています。
毎年、7月上旬の金・土・日曜日に開催されます。

伊能のおあそび
 伊能のおあそびは、大須賀大神の祭礼で、五穀豊穣を神様に祈るお祭であり、江戸時代中期から行われていたといわれる春の祭礼です。
午前は、サカキ等を運ぶ紋付・袴姿の青年達、着物を着て下座連の祭ばやしに合わせて踊る十数人の女性達、そしてお囃子を乗せた山車が、国道から大須賀大神まで練り歩きます。
午後は、お囃子・踊りのほか、奉納歌舞伎(伊能歌舞伎)が上演され、昔の祭を再現します。

佐倉麻賀多神社の祭り(佐倉市)
 毎年10月14日〜16日に行われる。
北総最大の規模であった佐倉藩の城下町の面影を残す行事です。神輿や7台の山車が繰り出し、遠近からの人々でにぎわいます。

和良比のはだか祭り(四街道市)
 皇産霊神社で毎年2月25日に豊作と無病息災を祈って行われる。
田んぼで、赤児の顔にどろんこを塗り男たちが泥の投げ合いをする。額に泥をつけてもらった子供はすこやかに育つといわれています。

大鷲神社の酉の市(栄町)
 毎年12月の初酉の日が祭日とされ、3日間行われます。
カラオケ大会、踊り、農産物の共進会、各種展示会など多彩な催しがある。地元や近隣の人々が参詣に訪れ、にぎわいます。

神楽・舞・唄
亀崎ばやし・栗山ばやし(四街道市)
 亀崎の熊野神社の祭礼(10月15日)と栗山地区の祭礼(10月20日)に行われます。
江戸末期から明治初期にかけて両地区に誕生した神楽で、おかめ、ひょっとこ、きつねなどのお面をかぶりおはやしに合わせ道化などを演じます。

墨の獅子舞(酒々井町)
 毎年7月15日の六所神社の祗園祭りに神社と区長宅で演じられます。
三匹獅子舞で念仏とおねりが伴うことが特徴。享保年間(1716〜1736年)の発祥で、五穀豊穣の祈願、雨乞いに舞われたと伝えられています。

麦つき唄・麦つき踊り(八街市)
 庶民の生活の中で労働歌として歌われ伝承されてきたものと考えられています。
今は、8月15日のお盆に先祖の供養のため唄い踊られています。

浦部の神楽(印西市)
 毎年10月17日の鳥見神社例大祭と、7月27日の阿夫利神社例大祭に行われます。
「12巫神楽」で、約300年前、八千代市村上から伝承されたものといわれ、12種目の神事を昔そのまま演じます。

平岡の獅子舞(印西市)
 従来は、4月28日の「御事」に行われましたが、今は、毎年5月3日に鳥見神社と神主宅で演じられます。
悪魔払いと豊作を祈願して奉納される三匹獅子舞で、文明年間(1469〜1485)に始まると伝えられています。

新しい祭り・行事
NARITA花火大会in印旛沼(成田市)
 成田市の西に広がる印旛沼湖畔で行われる花火大会で、10月中旬の土曜日に開催されます。
秋の夜空に色とりどりの約6,000発の花火が打ちあげられ、花火の写真コンテストも行われるなど秋の夜長を楽しめるイベントです。

佐倉市民花火大会(佐倉市)
 毎年8月上旬に、二尺玉をはじめ、約2,000発の花火が打ち上げられるこの大会は印旛沼畔(鹿島川河口)で行われています。
平成16年にいったん中止となりましたが、平成19年に再開しました。
民俗
伝承・民話
竜角寺の七不思議の民話(栄町)
 龍角寺にまつわる7つの民話で「三ケの岩屋」、「八ツの井戸」、「親は古酒子は清水」、「坂田ケ池の片菌の梅」、「竜灯の松」、「不増不滅の石」、「むらさめ返しの松」があります。

以上、房総の魅力500選(印旛郡市関係)より。

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