第2章  印旛沼の概況

2.1 沼の諸元

 印旛沼は、千葉県北西部の下総台地のほぼ中央北部に位置し、昭和27年に隣接の手賀沼とともに「県立印旛手賀自然公園」に指定された風光明媚な湖沼です。当時の印旛沼は、第2.1図に示すように、ローマ字のWの字(又は龍の姿)に似た形状を呈していました。

 しかし、沼の中央部が昭和期の「印旛沼開発事業」によって埋め立てられ、第2.2図に示すように、北印旛沼(以下、北沼と称す)と西印旛沼(以下、西沼と称す)に2分され、捷水路で結ばれる現在の形となりました。

第2.1図 「印旛沼開発事業」前の印旛沼の形状
第2.1図 「印旛沼開発事業」前の印旛沼の形状

第2.2図 「印旛沼開発事業」後の印旛沼の形状
第2.2図 「印旛沼開発事業」後の印旛沼の形状

 沼の面積は、北沼(6.26㎢)と西沼(5.29㎢)を合わせて11.55㎢と、開発事業以前(約29.0㎢)に比べて約半分に縮小し、水深は平均で1.7mと、むしろ開発事業以前(0.7~0.9m)に比べ倍近く深くなっています。現在の沼の諸元は、第2.1表に示すとおりです。

第2.1表 「印旛沼開発事業」後の印旛沼の諸元

2.2 沼の利用

 印旛沼は、現在、上水道、工業用水及び農業用水の貴重な水源としてのみならず、水産、レジャー、親水、そして観光など多方面にわたって利用されています。なかでも、用水源としての印旛沼は、千葉県民の“命”はもとより、日本経済の一端を担う基幹産業の重要な“水がめ”となっています。

 沼に流域から流入する水量は、第2.2表〔独立行政法人水資源機構管理事業部監修・発行:「水資源開発施設等管理年報」より作成〕に示すように、年によって変動がみられますが、最近5ヵ年(平成26~30年)の平均では4.212億㎥(酒直機場からの汲み上げ量を除く)となっています。このうち、工業用水、農業用水及び上水道用水として利用される水量はそれぞれ1.483億㎥(流入水量の35.2%相当)、0.598億㎥(14.2%)、0.352億㎥(8.4%)の計2.432億㎥(57.7%)、そして残りの1.780億㎥(42.3%)は利根川に自然放流(増水時は機場により利根川又は花見川に強制排水)されています。

第2.2表 印旛沼における年間の流入水量と利用水量

第2.3図 上水・工業用水の取水施設と農業用水の主な揚・排水機場の設置場所
第2.3図 上水・工業用水の取水施設と農業用水の主な揚・排水機場の設置場所

第2.3表 印旛沼における上水・工業用水の取水施設と、農業用水の主な揚・排水機場の諸元

2.2.1 工業用水

 工業用水は、第2.3表に示したように、西印旛沼の2ヵ所で取水されています。そのうち、1ヵ所(第2.3図に示した“B”の地点)は、昭和36年(1961年)に川崎製鉄(株)(現JFEスチ-ル(株))が第一期工事として着工し昭和38年(1963年)に竣工、その後、昭和46年4月(1971年)に第二期工事として川崎製鉄(株)と千葉県が共同で建設した印旛沼浄水場です。現在の送水能力は28万㎥/日で、JFEスチ-ル(株)東日本製鉄所千葉地区(1.8㎥/秒)と京葉地区工業地帯(1.54㎥/秒:千葉市新港地区、市原市、袖ヶ浦市の臨海部に立地する企業)に配水されています。

 他の1ヵ所(第2.3図に示した“C”の地点)は、印旛沼河口に近い鹿島川河畔に千葉県が五井姉崎地区の企業(現在では市原市、袖ヶ浦市、佐倉市の企業)に給水するため建設した計40万㎥/日の給水能力〔昭和42年3月(1967年)と昭和45年4月(1970年)にそれぞれ20万㎥/日の能力をもつ施設が完成〕を有する佐倉浄水場です。佐倉浄水場は、通常時は鹿島川の河川水を、そして低水期には印旛沼の水を合わせて取水しています。

 この2つの浄水場による工業用水の使用量については、第2.2表に示したように、直近5カ年平均(平成26~30年)で1.483億㎥/年となっています。

2.2.2 上水道

 上水道は、第2.3図に示した県営水道印旛取水場(第2.3図に示した“A”の地点)で佐倉市臼井田地先の印旛沼の表層水を取水し、約9.6㎞離れた千葉県企業局柏井浄水場〔昭和43年7月(1968年)に給水開始〕に送水し、そこで高度浄水処理(オゾン処理+活性炭処理)をして、利根川から取水して浄水処理した水と混合し、県営水道として浦安市の全域並びに千葉市、市川市、船橋市、習志野市及び市原市のそれぞれの一部区域に配水しています。

 ここで、上水道の水源として印旛沼の歴史を遡ってみると、千葉県水道局(現千葉県企業局)の当初計画では、第三次拡張工事(昭和40年着手、43年7月給水開始)で建設された西側施設は県営水道印旛取水場から取水した印旛沼の水を、また第四次拡張工事(昭和46年着手、昭和55年4月給水開始)で建設された東側施設は木下取水場(利根川から直接取水)で取水した利根川の水をそれぞれ通常の方法で浄化する計画でした。しかし、西側施設が稼働して間もない昭和45年(1970年)にはカビ臭(異臭味)問題が発生したことにより、当初計画を変更し、東側施設でオゾン処理と粒状活性炭処理を併用して完全除臭を目指す工事を行い、昭和51年4月(1976年)には約22億円の事業費でオゾン処理施設、また昭和55年4月(1980年)には約72億円の事業費で粒状活性炭施設がそれぞれ完成しました。そしてこれにともなって、利根川の水は西側施設で通常処理され、印旛沼の水は東側施設で高度浄水処理されるようになり、今日に至っています。このため、印旛沼の浄水コストは江戸川(栗山浄水場)や利根川(北総浄水場)を水源とする処理費に比べて、3~4倍の高さとなっています。また、印旛沼の水は、昭和55年(1980年)以前までは利根川の水と一緒に処理されていましたが、以後は上述したような水道障害等の問題もあって、印旛沼の水は別系統で単独に処理された後、混合して配水されています。

 ちなみに、上水に印旛沼の水が一部でも含まれている市町は、上述した県営水道の6市に加え、県企業局に上水加工を委託し印旛郡市広域市町村圏事務組合が給水している市町のうち柏井浄水場からの上水が配水されている佐倉市、八街市、富里市、四街道市、酒々井町の5市町を加えた計11市町です。

2.2.3 農業

 印旛沼の水を農業用水として利用するため設置された主な揚水専用、排水専用の機場、及び揚・排水の兼用機場の位置は第2.3図に、またそれぞれの機場における諸元については第2.3表に示したとおりですが、この他にも印旛沼土地改良区が管理する小規模の揚・排水機場もを含めると約380機場にも達します。

 これらをすべて含めた機場(農業用水計画量:19.12㎥/秒)からの用水受益灌漑面積は63.07㎢〔内訳:干拓地;9.34㎢(用水計画量:2.54㎥/秒)、既耕地;53.73㎢(16.58㎥/秒)に及んでいます。

 これらのうち、昭和40年代の「印旛沼開発事業」の一環として整備された基幹設備等は、最近になって施設の老朽化が進み維持管理費の増加、流域での土地開発が進んだことによる洪水被害の多発、用水供給能力のひっ迫などの諸問題が生じました。

 このような現状に鑑み、農林水産省では、老朽化した揚排水施設の改修や維持管理に係わる労力などの軽減を図り、また循環灌漑(水田から低地排水路に戻ってくる水の有効利用)を強化し、用水不足を解消するとともに、環境保全型農業等を推進することを内容とする「国営流域水質保全機能増進事業」(通称、国営印旛沼二期事業)を行うこととし、平成22年に着工しました。

 計画されている主要な工事は3箇所の揚水機場(白山甚兵衛機場、埜原機場、一本松機場)と3箇所の揚排水機場(宗吾北機場、宗吾西機場、吉高機場)を新設・更新又は改修し既存の機場を集約するとともに、1.2㎞の幹線用水路(白山幹線用水路・一本松用水路)、1.1㎞の幹線排水路(吉高排水路)、51.7㎞の支線用水路(白山甚兵衛・埜原・吉高・宗吾北・宗吾西の各機場掛かり支線用水路)、水管理施設一式(機場の取水量や運転状況の監視)の整備となっており、併せて関連事業として、県営の機場・排水路整備事業や圃場整備事業を行うこととしています。令和元年度末現在、白山甚兵衛機場、吉高機場、宗吾北機場、宗吾西機場は完成し供用されており、令和2年度以降は引き続き埜原機場、一本松機場関連の工事を施行することとしています。

 全体の工事期間は平成22年度~令和7年度(令和5~7年度:施設機能監視期間)、関連する市町は成田市、佐倉市、八千代市、印西市、印旛郡酒々井町、印旛郡栄町の4市2町にわたり、受益面積は5,002ha(水田:5,002ha、受益者:6,982人)となっています。費用は平成22年度当初で二期事業の総事業費が332億円、関連事業として県営かんがい排水事業(排水機場整備等)、県営経営体育成基盤整備事業(ほ場整備事業等)などで219億円を予算化していますが、このうち二期事業の総事業費については令和元年度時点で377億円に変更されています。

 国営事業として、第2.4表に示す揚水・排水機場や用水路・排水路を新設、更新又は改修し、洪水被害を軽減するなどとしていますが、令和元年度末現在における事業の進捗は同表に示すとおりで、既に一部は完成し順次共用されています。

第2.4表 国営印旛沼二期事業の概要

 印旛沼から取水したかんがい用水を反復利用し、沼への排出負荷量の削減を図るため、循環かんがいに必要な施設(ポンプ場、用排水路等)の整備を、第2.5表に示すように、5ブロックに分けて進めることとしています。

第2.5表 循環かんがいの対象水田と揚水量

 印旛沼二期事業を契機として、印旛沼の環境保全対策に取り組むための体制づくり(「地域用水対策協議会」の設立)を行い、地域農業の持続的発展とともに印旛沼流域の水質保全に寄与することとしています。

《目標》
  • 「循環灌漑施設の整備」による沼への排水負荷量削減
  • 地域一帯で「環境保全型農業」を展開することによる地域農業の振興《環境保全対策の概要》
  • 「ちばエコ農業」の推進:農薬や化学肥料の使用量を通常の半分以下で行う営農
  • 浅水代掻きの推進:少ない用水量で代掻きを行い、排水路への微細土粒子及び肥料成分の流出を削減
  • 低地排水路等における植生管理:排水路等に生育するヨシなどを刈り取り、適正な搬出・処分

2.2.4 漁業

 印旛沼に生息する魚種や、漁具・漁法は、前述した「印旛沼開発事業」の完成を境にして大きく様変わりしました。

 開発事業以前の印旛沼には鮭、マルタ、ボラなど利根川から遡上してきた魚種、シラウオ、モツゴ、キンブナ、ギンブナ、ナマズ、モクズガニ、スジエビ、マシジミなど在来の魚類・甲殻類・貝類、ビワヒガイ(琵琶湖)、ゲンゴロウブナ(琵琶湖)、カワムツ(中部地方以南河川の上・中流)、ゼゼラ(琵琶湖)などの移入魚種と、まさに多種多様な魚介類が入り乱れ生息していました。しかし、開発後は、在来種の一部は姿を消し、代わってカムルチー(俗称:雷魚)、ハクレン、オオクチバス、ブルーギル等の外来種が加わり、平成21年度から平成30年度現在まで、第2.6表に示すように40種の魚種が確認(第5章記述した張網による漁獲調査結果)されています。このうち、24種は、昔から印旛沼に生息する在来種(17種)と、利根川や海と行き来している在来種(7種)ですが、残りの16種は琵琶湖等からの国内移入種(8種)と海外からの外来種(8種)となっています。また、第2.7表は、かつて印旛沼で生息が確認された魚種の時期と移入種の出現時期を示しています。

第2.6表 近年の印旛沼で確認されている魚種

第2.7表 印旛沼の生息確認魚種と国内外からの移入種出現の時期

 魚介類を漁獲するための漁具、漁法も、開発以前は魚介類それぞれの生理・生態特性に対応して数多くありました。しかし、資源量及び魚種の減少によって、かつて漁獲の対象魚によって使い分けられていた約25種類にも及ぶ主な漁具・漁法のうち、最近では張網、船曳網(エビ、ワカサギ、雑魚等を対象)、柴漬(冬は雑魚やエビ、夏はウナギを対象)、竹筒(ウナギを対象)の他に、刺網、置針等が利用されているにすぎません。そしてコイ、フナ、雑魚など多くの魚種を対象として漁獲できる「張網」は、もっとも一般的に用いられている漁具・漁法ですが、最近は柴漬漁が多くみられるようになりました。

 印旛沼全体における漁獲の対象魚種をみると、第2.8表〔関東農政局「千葉県農林水産統計」より作成〕及び第2.4図に示すように、コイ・フナ・その他の魚種が総魚類計の大きな割合を占めていますが、その多くは佃煮の材料として消費されているモツゴです。漁獲量は、同表に示すように、漁獲統計がとられた昭和43年には約800トン近くありましたが、翌44年には半減、その後は、再び増加をたどり昭和56年には最高の1,000トン近くの漁獲を記録しました。その後は、いくぶん減少したものの、昭和61年まで800トン強を維持していました。しかしその後さらに減少に転じ、平成16年には81トンと急激に減少しました。この原因については、茨城県の霞ヶ浦で発生したコイヘルペスウイルスの蔓延と相まって、消費者の淡水魚の魚食離れが大きく影響していると思われます。さらに、漁業者の高齢化による漁業人口の減少、食料資源としての社会的価値の低下など種々の課題に加え、近年、特定外来生物であるオオクチバス、ブルーギル、チャネルキャットフィッシュ(別名:アメリカナマズ)などの侵入が多くみられるようになってきたこともその一因と考えられ、今後の地場産業としての印旛沼の漁業に一つの大きな問題を投げかけています。

第2.8表 印旛沼における主要魚種別漁獲量と総漁獲量

第2.4図 印旛沼における主要魚種の漁獲量

 一方、魚種別の漁獲量でみると、フナが昭和46年の347トンを最高に徐々に減少、またコイは昭和51年の240トンを最高に徐々に減少し、今日に至っていますが、モツゴ(昭和58年から漁獲されるようになった)に代表されるその他の魚種は、フナ、コイに代わって増加傾向を示し、平成4年には総漁獲量の約65%を占める最大の漁獲量を示しました。その後は減少を示し、平成16年には75トンの最低漁獲量となりました。

 これに対して、貝類については印旛沼開発事業後、ほとんど漁獲がありません。また、甲殻類では、テナガエビが平成18年頃までモツゴ同様、印旛沼の主要な漁獲物でしたが、平成19年からはスジエビが多く漁獲されるようになり、テナガエビに代わって佃煮の原料として消費されています。

 なお、平成18年度以降の漁業統計については、印旛沼単独の漁獲量の数値が公表されず、さらに21年以降の公表数値は、内水面漁獲量の合計(千葉県内の河川・湖沼の漁獲量の合計値)のみとなっています。このため、第2.8表の平成18年以降はあくまでも参考として記載したものです。ちなみに、県内の内水面漁業の漁獲量(養殖は除く)は、平成20年は275トン(うち手賀沼・印旛沼の合計値は156トン)であったのに対し、東日本大震災の翌年の平成24年には62トン(手賀沼・印旛沼の合計値は非公表)と大幅に減少し、その後もさらに減少し、平成30年は49トンとなっています。

 なお、現在、印旛沼には、第2.5図に示したように、中央排水路を除き、印旛沼及び周辺水路のほとんどで「内共第8号共同漁業権」が設定されている一方、保護区域として北印旛沼で約46ha、西印旛沼では約99haが指定され、また両沼を合わせて禁漁区が8カ所及び特定釣場が16カ所指定され、印旛沼漁業協同組合により管理されています。

第2.5図 印旛沼における漁業関連水域
第2.5図 印旛沼における漁業関連水域

2.2.5 観光

 印旛沼は昭和27年(1952年)10月に隣接の手賀沼とともに、沼を中心とした地域一体が県立印旛手賀自然公園として指定されましたが、最近は、都心に近い自然公園として注目を浴び、貴重な存在になっています。

 両沼は四季をとおし、有数の魚釣り場(へラブナ、ブラックバスなど)として関東一円の中でも有名です。また、印旛沼及び流入河川に沿って、第2.6図に示すように、阿宗橋を起点として最終計画地点の国道356号のふじみ橋まで27.3㎞のサイクリングロードが計画され、そのうち栄町の酒直水門までの21.6㎞は既に整備され、沼及びその周辺の自然を楽しむことができます。残りの5.7㎞については、長門川及び酒直水門の堤防改修工事計画との関連でまだ未着工(現在、休工)の状況ですが、サイクリングロードの利用者は年々増加し、(公社)佐倉市観光協会では、年間を通し、自転車の貸し出しを行い、その台数も年々増加しています。

 一方、沼や沼のほとりで催される行事としては、第2.9表に示すように、(公社)佐倉市観光協会が4月~10月の期間中に運航する「観光船」、毎年4月初旬頃に佐倉ふるさと広場で佐倉市と(公社)佐倉市観光協会の共催による「佐倉チュ-リップフェスタ」、また毎年10月に成田市が主催して行う甚兵衛公園を拠点とする「印旛沼クリ-ンハイク」や、(公社)佐倉市観光協会による「コスモスまつり」、佐倉市による「佐倉市民花火大会」があり、それぞれに多くの人々が集い、楽しんでいます。

第2.6図 印旛沼に沿って整備されているサイクリングロ-ド
第2.6図 印旛沼に沿って整備されているサイクリングロ-ド

第2.9表 印旛沼およびその湖畔で開催された諸行事と参加人数

 また、流域には、故事来歴のある成田山新勝寺・宗吾霊堂(成田市)、松虫寺・栄福寺・龍腹寺・瀧水寺(印西市)、龍角寺(栄町)等の古寺があり、神社としては麻賀多神社が18社(佐倉市に11社、成田市に2社、酒々井町2社、富里市2社、八千代市1社)、宗像神社が13社(印西市に12社、白井市1社)、鳥見神社が18社の内柏市の3社を除く15社(印西市に10社、白井市に5社)、埴生神社が3社(成田市に2社、栄町1社)ある他、学習・教育の場として国立歴史民俗博物館(佐倉市)、成田山書道美術館(成田市)、川村記念美術館(佐倉市)、県立房総のむら(平成16 年に統合した「旧房総風土記の丘」を含む、栄町)、岩屋古墳(栄町)等が数多く存在しています。さらに、龍角寺(栄町)の銅造薬師如来坐像、松虫寺(印西市)の七仏薬師(木造薬師如来坐像1体・薬師如来立像6体)と鋳銅孔雀文磬(ちゅうどうくじゃくもんけい)が国指定重要文化財として指定されており、まさに印旛沼流域は歴史・文化の一大宝庫といえます。

 また、優れた自然環境及び身近にある貴重な自然環境を将来に継承していくための「千葉県自然環境保全条例」(昭和48年)第15 条第1項に基づく郷土環境保全地域として、成田市には「麻賀多神社の森郷土環境保全地域(2.80ha)」(昭和54年3月)、「小御門神社の森郷土環境保全地域(1.81ha)」(昭和54年4月)、「大慈恩寺の森郷土環境保全地域(3.01ha)」(平成2年3月)が、また船橋市には「八王子神社の森郷土環境保全地域(1.08ha)」(平成6年3月)が指定されています。

2.3 沼の水管理

 印旛沼は「印旛沼開発事業」後、洪水(治水)対策をはじめ、上述した工業、上水道及び農業等の利水に支障をきたすことがないように、万全の水管理が行われ、第2.1表に示したように、灌漑期(5月~8月)にはY.P.+2.50m、非灌漑期(9月~4月)にはY.P.+2.30mと、印旛沼開発施設によって水位が一定に維持されています。

 この水位調節は、第2.7図〔「千葉用水総合事務所の概要」独立行政法人水資源機構〕に示すように、長門川の利根川合流地点に位置する印旛排水機場と印旛疎水路の中間(新川と花見川の接点)に位置する大和田排水機場の2つの排水機場、そして長門川と北印旛沼の取り付け部に位置する酒直揚水機場の運転によって行われています。

第2.7図 印旛沼開発の水管理施設と計画水位の断面
第2.7図 印旛沼開発の水管理施設と計画水位の断面

 西印旛沼及び北印旛沼の水は印旛捷水路を通して、それぞれ北と西に向かい移動できますが、平水時は沼の水位が利根川に比べ1~1.5m程度高いため、 西沼及び北沼のいずれの水も自然流下で長門川を経て利根川に流れ出ています。

 利根川の水位が上流での降雨によって沼より高くなった場合には、印旛水門を閉め利根川から沼への逆流を防ぎ、その状況下で沼の水位が高まった場合には印旛排水機場(能力:92㎥/秒)で沼の水を汲み上げて利根川に強制排水しています。そして、さらに沼の水位が高まった場合には、印旛排水機場と同時に、大和田排水機場(能力:120㎥/秒)においても沼の水を汲み上げ、花見川に落として東京湾に放流しています。

 これに対して、沼の水位が、逆に渇水等で通常の維持管理水位を下回った場合(利水容量の低下)には、利根川の水を長門川を通して酒直揚水機場(能力:20㎥/秒)で汲み上げ、沼に注入しています。

 第2.10表は、印旛沼における用水補給のため利根川より酒直揚水機場を通じ汲み入れた水量と、洪水排水のため長門川から印旛排水機場を通じ利根川に排水した水量及び新川から大和田排水機場を通じ花見川に排水した水量等の経年変化を示しています。

 なお、治水に関しては、印旛沼の堤防が軟弱な地盤の上に築堤されており、地盤沈下や押さえ盛土の消滅などで脆弱化しているため、県では、堤防の嵩上げなど随時築堤工事を行っていますが、関係機関からは治水安全度を高めるための抜本的対策も強く望まれています。

第2.10表 印旛沼における揚・排水機場での汲入・排水量